その時々

その時々で違うんです。特に決まっていないんです。

死ぬということ

身内に不幸がありまして更新が滞っておりました。
それにしても死というのは、すごく身近なものなんですね。
ですが身近な人の死を目の当たりにするとつくづく実感します。
ああ、自分もやがては死ぬんだなと・・・・
普段は寂しくなったり怖くなったりしますから死から目をそむけていますが、人は、いえ生命あるものはいつか死ぬんです。
死ぬと身体だけ残して心が抜けて行きます。
本当に物体になっちゃうんですね。
いままで残してきたお金や物などの資産や知識とかすべておいていかなくてはならなくなります。
ですのでそういったものに執着するということは馬鹿らしくなっちゃいます。
生きているうちに一生懸命かき集めたそれらのものは死をむかえた瞬間に自分のものではなくなってしまうのです。
何のためにがんばって集めたのかってことになっちゃいます。

もし来世というものがあったとしても、生まれたときには赤ちゃんなのですから知識すら残ってないことは分かりますよね?
ですが生まれる場所というか環境というものはそれぞれ違うわけで幸せなところに生まれるかどうかは分かれるのかもしれません。
それが前世の行いによって決まるというのはなんとなく分かる気がします。

でも実際、死→生のルートは誰も記憶がないわけで説明できる人なんていないのです。
ですので死→生のルートすらあるのかすら分からないのです。
もしかしたら死→無かもしれません・・・
ですが、死んだらなにもなくなっちゃうと考えると怖いですよね?
そういったところから極楽浄土とか天国とか、そういった概念が生まれたのだと思います。
結局のところは死んだ後どうなるかなんてわからないんです。
分かっていれば答えは一つになり、はっきりとしているはずです。
ですがそうじゃないので分からないのです。
わからないことを考えてもしょうがないんです。

ですが、その先があろうとなかろうと今生で善い生き方をすればいいということです。
そうすればもし来世があったとしても善いところに生まれますし、何よりも今世が幸せになります。

死というものを考えたとき、今という一瞬が有限であるということを思い出します。
一日という単位は人間が勝手に決めたものですが、生きているということは一日一日を消化していくということです。
残りの日数も決まっています。
それなのに一日をだらだら過ごすということはもったいないことです。
そう考えると一生って長いものではないんだなと改めて実感しました。

死についは、まだまだ色々書きたいことがありますが長くなりそうなのでこの辺にしておきます。