その時々

その時々で違うんです。特に決まっていないんです。

7つの習慣 目的を持つ

前回書いた記事「人生の目的、エネルギー、そして地図」は自分なりの人生の目的に対する見解です。

今回は7つの習慣に書かれている人生の目的の見つけ方を見てみたいと思います。

車に乗って葬儀の会場に向かった。
そして、飾ってある写真をみると、なんと自分の顔写真だった。
葬儀の一部始終を見ることとなる。
最初に家族のなかからひとり、次に友人の一人、三番目に仕事関係の人、四番目にコミュニティーや自治会、サークルなどの奉仕活動を行ってきたところから一人。
弔辞を述べることとなっている。
ここで深く考える。それぞれの人たちから、あなたの人生についてなんと言ってほしいだろうか。

これがあなた自身の本当の成功の定義なのだ。
それは今まで考えていた成功とはかけはなれたものかもしれない。
名声、業績、お金などは、本当に考えている成功とはなんら関係ないかもしれない。

余談ですが仏教に、死隋念という瞑想があります。
私もいつか死ぬんだよ。いつ死ぬかわからないんだよ。今日かもしれないし、明日かもしれない。呼吸の回数が決まっているのなら、1回呼吸をするたびに死に近づいているんだ。ニュースなどを見て誰かが死んだと報道していたら、私にもありえることだと見る。
他人事ではない。「あなたは死なないと思ってるんですか、誰でも死ぬんですよ」と、
死と向き合ってみるのです。
そうすると一分一秒がとても大切に思えてきます。人生短いんだ。それなのになんでこんなちっぽけなことで悩んでるんだろう。時間がもったいないやと。

これと7つの習慣の自分の葬式で何を言われたいかとは関係ないかもしれませんが、今生のゴールは死にあるんだということです。
ですので目標を立てるにはそこから考えたほうがいいのかなと思いました。

自分なりに、考えてみたのですが葬儀の弔辞で何を言ってもらいたいか・・・・

よくわかんないですね、
死んだらどうせこの世のみんなとも会えなくなるんだし、自分の身体ともおさらばするし、ましてやお金なんてあってもいいもんじゃないし、名声とかも死んだら何かの役に立つんだろうかと考えちゃいますし。しいて言えば、幸せだったよ。とか楽しかったよ。とかそんな程度ですかね。
そうすれば、安心して死ねますかね。この一生、生きてきて良かったなと。