忙しいという言葉
これは、この言葉を、いつか何度も使うであろう自分へ向けてのメッセージ。
私はあまり忙しいという言葉は好きじゃない。
忙しいという漢字は心が亡くなると書く。
要は心が死んでいる状態っていうこと。
忙しい忙しいといつもいっている人は心がいつも死んでいる。
自分のことをよく知っていないからこうなるんじゃないかと思う。
出来もしないのに何でも引き受けてしまったり、何をやるべきか把握していないなど。
自分がやる必要があることをきちんと全部把握していたら、あれもやらなくちゃこれもやらなくちゃってモヤモヤもしなくなるし、今出来ることに集中することが出来るのにそれをしようとしない。
結果、本当にやらなければいけないことが後回しになって、急ぎのことばっかりになる。
前々からリミットが決まってたら、分かった時点で全力で進めばいいのに、それをしない。ギリギリになるまで動かない。暇なときがあったらこれからやってくる課題に向けて準備する絶好のチャンスなのに、のんびりしている。
それと、自分がやりたいことを一生懸命やっているときは、どんなに睡眠時間を削ったって、眠たい目をこすってもやり続けるでしょ?そういうときは忙しいなんて思わない。
やりたくないことばかりやっているから忙しいって思うんじゃない?
それってとってもつまらないことだと思う。
仕事だから仕方が無いとか、やらなきゃいけないから仕方が無いっていうのは、やりたくないような仕事をする自分がいけないだけなのに、仕事やその他もろもろの性にしてはダメなんじゃないだろうか。
やりようはいくらでもあるけど、やり方を知らないか、能力がないだけ。
もちろんこの先やりたくないことを、やらなくちゃいけないときはいっぱいあるだろうけど、それは自業自得ってこと。
素直に受け入れて、さっさと終わらしてしまえばいい。案外あっという間に片付くことにビックリするはずだ。先延ばし先延ばしにしていると、それは重荷になって忙しいという言葉が、出てくるようになる。
やりたいかどうか迷ってる暇があったら今すぐやればいい。ウダウダやってる暇なんてない。そうしないと、やりたいことはいつでも後に、やりたくないことはいつでも先になってしまう。
もし明日死ぬとしたら今何をやりたいって思う?やりたくないことなんてやらないでしょ?
でも、生きるために必要だし?
やりたいことやってから、やりたくないことを、やればいいじゃん。
もしかしたら心に余裕が出来て、やりたくないことなんて、何とも思わないほどパワーが出るかもよ?