その時々

その時々で違うんです。特に決まっていないんです。

世俗諦(せぞくたい)

最近、アビダンマの勉強も始めました。

今日はその中で世俗諦というものについて覚書です。

・アビダンマでは真理には二種類あると言う。
 世俗諦と勝義諦の2つ。

・世俗諦はみんなで何か話し合って最終的にこうしましょうと決めた真実のこと。

・世の中で我々が考えたりしゃべったりして作っている知識すべて世俗諦。

・我々が真実だと思っているものはすべて、人間の世界でそう決まっているだけ。
 徹底的な真実・真理・論理的な根拠はない。
 だからといって間違いでもない。
 なぜなら、みんなでそう決めたから。だから、我々はそれに従わないといけない。

・世俗諦を決める「みんな」もいろいろ。
 人間が決めている決まりも、犬猫が決めている決まりも、昔の人が決めた決まりも、
 科学的な真実と言われているものもみんな世俗諦。

・世俗諦、世の中の決まりはそれほど厳密に真剣にやらなくてもいい。立場によってころころ変わるのだから。

・科学の歴史はあまり長くないが、そのわずかな歴史の間にも、真理がころころ変わっている。世俗諦というものは変化するもの。

・昔ながらの自然食の生活こそが、質素で健康的だと言う人もいれば、世の中には食べるものも得られず、食べられる物なら何でもいいと思っている人もたくさんいる。

・世俗諦はある程度みんなに共通の真実。ラジオを見せてカバンと答える人はいないように。ただ、それを見て十人が十種類の応えを言うのだから、唯一絶対の真実ではない。

・世俗諦を理解すれば、自分は勉強は出来ないけど、人それぞれだから、自分は他のことで頑張るぞとなれる。

・世俗諦で「時計」というものを決めたとして、時計を見せてこれが時計であるということは真実とはならない。バラバラに分解してねじや針などの部品だけになってしまったら「時計」そのものはなくなってしまう。

・話の内容も世俗諦。
 その人その人の立場で話すので、Aさんにとっての真実はBさんにとっての真実とはならない。

参考文献:ブッダの実践心理学 第一巻


目次:【仏教】アビダンマを勉強する