その時々

その時々で違うんです。特に決まっていないんです。

勝義諦(しょうぎたい)

勝義諦とは「優れている、究極の真実」という意味。

勝義諦は「言葉」という世俗諦を浸かってしか説明できず、本当の勝義諦は実際に体験してみないとどうしようもない。
言葉のレベルでしか理解できないと、勝義諦だと説明しても世俗諦になってしまう。

様々な問題が起こるのは、ここに私がいて、何かを認識するから。
同じ1つのものを見ても、一人一人バラバラの認識をする。
だから議論が起きたりする。
だけど、その元となる情報自体は同じだったはず。その情報そのものを捉えるのが勝義諦。

ものごとはすべて変化する現象だけで、何の実体もない。

究極まで分析すると勝義諦は4つしかない。

心(しん)と心所(しんじょ)と色(しき)と涅槃(ねはん)の4つ。

心とは眼・耳・鼻・舌・身・意の6種類の認識する働き。
心所とは認識と一緒に生まれる感情のこと。
色とは色(いろ)・形など目に見え、触れることが出来る、壊れる・変化する物事。
涅槃とはこの3つの世界をすべて理解し何ものにも囚われる意味がないという智慧の感情が生まれ、そこで体験する世界・状態のこと。

我々が生きているこの世界には心・心所・色の3つしかない。(世間諦)
この世間諦を乗り越えたら涅槃という状態が生まれる。

目次:【仏教】アビダンマを勉強する