モチベーション そして犠牲
最初は、モチベーションを高めるためにその方法について調べていました。
モチベーションを高める。すなわち輝いている人になりたい。
心の中からパワーがみなぎっている人、そんな人になりたい。
そんなことを調べていたのです。
で、気づいたことがありました。
モチベーションとはまったく別のことです。
まあでも折角ですから、モチベーションについても書きたいと思います。
ちょっと長くなりますが・・・
まず、モチベーションについて調べたところライフハック的なところではこんな内容の記事が見つかりました。
元ネタ
http://zenhabits.net/2007/02/top-20-motivation-hacks-overview/
参考記事
http://d.hatena.ne.jp/bambix/20070514/1179153919
- 目標の写真やイラストを見えるところに貼る
- 常に前向きに!ネガティブ思考は厳禁
- 目的を目指す理由をしっかり持って、それを書き出す
- 日々インスピレーションを受ける
- 毎日15分は目的のヴィジュアルを思い浮かべよう
- 進行を振り替えれるよう毎日日記をつける
- 時には自分へのご褒美も
- 忍耐強く、時間をかける
- みんなに公約する
- 進行状況を表にする
- スロースタートで
- 同類をネットのコミュニティで探す
- 共に同じ目標を目指す仲間を見つける
- 先延ばしせず今すぐ始める
- ゴールまでの過程を楽しむ
- 若干の妥協はしょうがない
- 先生やクラスを持つ
- 2日連続サボれないようなルールを決める
- 競争相手を見つける
なんとなく、よく見かけるような自己啓発的なものですね。
参考にはなるとは思いますが。
それでは、仏教的な面で見てみたいと思います。
参考記事:http://d.hatena.ne.jp/ajita/20061125
- 正しく生きること、人格向上を本職で本当の目的であると理解しておけば、他の目的は副業で「達すれば悪くない」程度のことになります。
- どのようにでも、こころは伸びるものだと理解してください。
- 堕落すれば極悪人にもなるし、成長すれば解脱にも達するのです。
- 能力の制限は、殆ど寿命で決まるのです(死ぬまで成長できるという事)。
- 寿命は短いので、人生には「目的の選択」が必要です。
- 「正しく生きること、人格向上」を目的に定めたならば、他の希望はきれいさっぱりカットすることです。
- すべての不善心所はこころを堕落する、堅くするのです。
- 不善心所は、痴、無慚、無愧、悼挙、欲、見(解)、慢、瞋、嫉妬、物惜しみ、後悔、惽沈、睡眠、疑の14です。
- これらが自分を支配しないようにと気をつけるとこころは柔軟になるのです。
- 善心所は25ありますが、省略いたします。
- 善心所の共通処を纏めると、明るさ、喜びを感じること、こころの軽さなどです。柔軟性も善心所です。
- 常に明るく、ポジティブで、楽しみを感じながら、生きることで人生の問題は解決します。
- 慈しみは生きるために強烈なパワーになります。
- 世間の話には乗らないことです。
- 普遍的にものごとを観察することです。
- 例えば、人が何を言ってもそれは主観的で一方的な意見に過ぎないのです。
- 皆、貪瞋痴に覆われているにも関わらず、世直しのことを語るのです。当てにならないのです。
- 一切は無常で常に変化する。止まらない。
- ですから、物事に固執しないこと。執着もほどほどにということです。
- 仏陀の教えを自分の人生論、生きる哲学にしておけば、完全に安全です。
- 弱い自分には仏陀の期待に十分応えることができなくても、安全は安全なのです。
- 俗世間では失敗することはなくなります。
- 怠けを砕いて精進を始めたら、「生きる力、精神力」は問題にならないのです。
- 火の玉に例えてください。小さな火の玉が燃えるものに出会えばいくらでも大きくなる。
- 人生は常に、ナンストップで精進なので、力が沸いて来ます。
- 歩く瞑想などで集中力を増やすことも可能です。
ちょっと分かりにくいですね。
ですが、注目する点がありました。
それは善心所というところです。
モチベーションを高めるには善心所が必要なんです。
それで心所についての書籍「心の中はどうなっているの?」からまとめてみました。
モチベーションを仏教的に高めるには、
- 経験したことによる正しいという確信
- 「今・ここ」に気づくこと。今この瞬間の失敗の積み重ねが大きな失敗となる
- 人に与えようとすること。(施せば施すほど人は自由になる。自分に自信がついて、力強く歩けるようになる。それが徳というもの)
- 嫌なことをされたり、いくら相手にひどいことをされても優しい気持ちで接すること。=人生の勝者
- 中立的でいること。いくら善行為をしても感動や感謝を求めないこと。求めるのは普通の人。
- 落ち着いていること。
- 心も身体も軽く、柔軟でいること=機能的、行動的、活発な状態
- まっすぐ決めた行動をやり遂げること。
- 相手に譲るのではなく、自ら進んでやること。
- 楽しんでやること。気持ちよくやること。
これで高めることは出来ます。
これがとても自分の中でマッチしたんですね。
ですが、ふと気づいたんです。
この前の仏教的な見解の部分の
「寿命は短いので、人生には「目的の選択」が必要です。」
というところと、気づいた部分が一致したんです。
今、基本情報技術者試験の勉強をしています。
自分にとっては、想像以上に難しいです。
それにもかかわらず、試験までの日数も残りわずかでありながら、他にもやりたいことや、やらなければいけないことが沢山出てきます。
勉強だけに専念出来ないのですね。
残り2ヶ月間、必死に勉強だけすれば確実に受かるかもしれませんが、
他の事に時間を取られると、結構厳しい状況です。
これは、まさしく寿命は短いので目的の選択が必要ということの縮図なんだと思います。
例えば、大卒の人がいるとします。(自分は大卒ではありません・・・)
ですが、高卒の人から見ればこんな見方をする人が多いのではないでしょうか。
大学に行ったって遊ぶだけだし、お金が勿体ない。
勉強なんて大して役に立たない。
早いうちに働いて社会に出たほうが経験も積めるしそっちのがいい。
たとえこれが嫉妬ではないとしたとしても、やっぱり違うんじゃないかと気づいたわけです。
どんな大学であれ、入学するために受験勉強という行為をして入学したはずです。
そして、その間は他の事を犠牲にして勉強に専念したのですね。
この受験勉強のために他の事を犠牲にしていない人たちには、そのことが分からないのです。
他の事を犠牲にしたからこそ、大卒という資格を取れたわけです。
それが役に立つか立たないかは別として、その人たちは何かを犠牲にしたのです。
別の見方をすれば、子供を育てた母親だってそうです。
他の事を犠牲にして、自分のやりたいことを犠牲にして子育てをしたのです。
この何かを犠牲にするということは、目的を選択するということです。
大きなことを成し遂げようとすれば、大きな犠牲が必要となるのです。
それが目的を達成することであり、そう簡単ではないと分かります。
ですので、紙に書いて目に付くところに貼るとか、誰かに公表するとか、ライバルを見つけるとか、そういった次元の問題ではなく、
モチベーションというものは高めるとかそういったものではなく、
人生(時間・寿命)をどれだけその目的のために使用するか、燃焼するかということなんじゃないでしょうか。
100時間あれば100時間中何時間、その目的のために費やしたか、嫌々ではなく、自ら進んで、自分のために、楽しんでやったかどうか、
いえ、楽しんでやっているかどうか、常に今ここで(現在進行形で)やっているかどうか、
それが真実なんだと思いました。
だから、誰かと比べるとか、誰かのためにとか、誰かに認めてもらいたいとか、そういったものは、不全心所なんです。
ですので上手くいかないんですよ。
ホント。